こんにちは!最後の自己紹介を行ったばかりの長戸です!
前回の自己紹介はこちら
今日は、以前の自己紹介でできなかった僕の研究紹介を主にやっていきたいと思います!大変長くなるので、2回に分けて行っていきたいと思います。
その前に!この記事を書いている前日の11月10日(土)に皇居でハーフマラソンを走りました!記録は1時間53分52秒でした!年明けた2月くらいにフルマラソン目指したいです。(前回の8月に参加したフルマラソンは、猛暑のために35km地点でリタイアしてしまいました)
さて、今回は分量が膨れ上がりそうなので、早速本題に入っていきます。今回と次回に分けて話そうと思っている事柄は4つです。
① 基礎教育学コースに入るまでの経緯
② 金森修先生との出会い
③ エピステモロジーとは何かを、「医学・精神医学における正常と病理」の研究を実際に紹介して説明を試みる
④ 教育学をエピステモロジーの立場から考察したい
実際の研究紹介は③以降なのですが、その前座として今回は、最初の①、②のみをお話ししようと思っています。それではお楽しみください!
基礎教育学コースに入るまでの経緯
まずは、高校の時の話をしなければなりません。それは一つの衝撃的経験から始まりました。
まさに欲望の赴くままに日々を過ごしていたサル同然だった僕は、高校二年生の時に開かれた小学生の友達たちとの同窓会後、タバコを吸っている2人の友達を目撃しました。これ自体は衝撃的ではありませんでしたが(法律に抵触していることは自明ですが)、そのあとの僕自身がある種何気なく発言した言葉が、僕にとって人生を揺るがす衝撃でした。
「いいな!俺にも吸わせて!」
なぜ衝撃だったのか。それは、僕はこの時点に至るまで、「タバコを吸えば寿命が減る。そんな馬鹿なモノに、俺は一生手を出さない。出すはずもない」と、何の疑念もなくそう思っていたからです。実際、僕はタバコに対する欲望をこれまで一度も抱いたことはありませんでした。
にもかかわらず、親しい友達が吸い始めたのをみた瞬間に、吸いたくなってしまった。自分の信念が、そのシーンの目撃たった一つで、いとも簡単に壊れてしまったことに気づいて、僕は頭をぶん殴られた衝撃を覚えたのです。(結局友達のタバコが余っていなかったので、その時に吸うことはありませんでした。)
その時の発見は、自分の信念や価値観なるものは、自分が選択したものではなく、環境によって形成されたものだったのだということでした。僕はタバコを吸わなかったのは、周り(家族、学校の友達など)がタバコを吸わない環境だったからなのだと。
そうした発見はさらに拡張されました。もし、僕が紛争の絶えない国で生まれていたら、少年兵となって殺人マシーンとして訓練されたかもしれない。これは身も凍えそうな想像です。今日本でのほほんと生きている僕と、今この瞬間戦闘を行っているかもしれない少年兵。きっと本質的な差異はないはずなのに、ここまで違う人生を歩んでしまっている。一体これはなんなんだ。あらゆる頭に上ってくる価値判断がそのつど霧消する、そんな現実の過酷さを突き付けられました。
その後、僕は、「秋葉原連続通り魔事件」と「オウム真理教」を研究する倫理の授業を受けました(倫理の教科書を読むよりもよっぽど倫理的な授業だったと今振り返って思います)。
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| K死刑囚は先月、獄中で「人生ファイナルラップ」を発表しました。 |
僕は前者の事件を起こしたK死刑囚に関する様々な記事を読んでいく中で、彼の底抜けに濁ってしまった心の闇は、僕の中に当時までに芽生えかけたものだったことに気づきました。日々を漫然と消化して、1日中ゲームに明け暮れ、親に勉強しろと怒鳴られ、周りの友達にいろんなコンプレックスを覚え……。少なくとも高1までの僕は、そんな人間でした。僕がそこまで濁らずに済んだことは、ある意味で奇跡のように思われます。通り魔事件が起きた時、K死刑囚の犯行が、自分の世間に対する鬱屈した気持ちを代弁してくれたとKを崇める声がネット上で多く目撃されました。(もっとも、K死刑囚は、俺たちは負け組だと思ってわめいているお前らは、真の負け組ではないと唾棄する気がします)
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| 地下鉄サリン事件が起こった年に僕は生まれました。まだ生まれていなかったにも関わらず、 この度の一斉死刑執行には時間のタガが外れたかのような衝撃を感じました。 |
オウム真理教については、今年の夏、地下鉄サリン事件、弁護士一家殺人事件など、一連の事件に関わった多くの死刑囚の死刑が一斉に執行されましたね。倫理の授業では、事件に加担した多くの教団幹部が高学歴であったことを知りました。
京大、 早稲田、東大……。医学部出身の人もたくさんいます。彼らは「人生の成功」を約束されていました。秋葉原事件のK死刑囚とは正反対?でも、彼らはそうした人生の成功をかなぐり捨ててオウム真理教に入信したのでした。僕は当時こう考えました。「人生の成功」に彼らは価値を見いだせなかったのではないか?こうした高学歴ルートは、自分が自分の意志で選んだものではなかったと考えていたのではないか?もちろん、こうした憶測は、虚空をつかむような何にもならない問いかけです。僕は要するに、K死刑囚や事件に関わった教団幹部と、自分自身とを、頭の中ではっきりと区別することができないことに猛烈なモヤモヤを覚えていたのでした。
こうした学びを通じて、自分の中にあったモヤモヤはやがて一つの問いに収束していきました。
「人の生き方を方向付ける、この何とも言えない/ 見えないこのモノは何なのだろか?」
この「モノ」は、ミシェル・フーコーの「生権力」という概念で表現されるものだということを後に知ります。とにかく僕には、この得体の知れないモノはポジティブにであれネガティブにであれ、その人が受けてきた教育(家族、学校、地域社会etc.)によって生み出されてきたのだと思われました。このモノの正体は何かを考えたい、そう思って僕の関心は教育に接近していきました。
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| ミシェル・フーコーの超かっこいい書斎です。僕もこんな書斎を持てるようになりたい |
(なお、明確にしておきたいのは、僕自身は教育に対してしばしば向けられる権力主義批判、つまり、「教育は先生が権力を利用して子供達に一方的に規範や知識を教え込む制度だ」という批判にここで加担しているわけではありません。教育は、権力をポジティブに利用することもできるのではないでしょうか。つまり教育における権力をネガティブに批判する以上に、権力という概念の多様な側面・プロセスを具体的に明らかにすることで、よりよい教育を模索することも可能と思われます)
金森修先生との出会い
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| 金森先生が亡くなった後、一度だけ先生の研究室を訪れました。机の上には ハンナ・アーレントの『人間の条件』がポツンと乗っていました |
さて、ようやく教育の話に入ってきました。入学後、教育学部のHPを閲覧している時に、基礎教育学コース所属のある先生を見つけました。それが「金森修」先生でした。その時に読んだ自己紹介メッセージを3年前のパンフレットから引用します。
一種の人間論の構築を目指しています。人間は生物であるにもかかわらず、単なる自然的存在とはいえないあり方で存在しています。その意味での「自然からの乖離」の様態を多様な場面で具体的に考えることを目標としています。
彼の著作に「<生政治>の哲学」(2010年、ミネルヴァ書房)があったこと、彼の開講していた授業に「生・権力論と教育」というゼミがあったことから、僕はこの人のもとで学びたいと強く思うようになりました。これが基礎教育学コースに進学した経緯です。そして、金森先生の出会いこそが、僕を決定的に「エピステモロジーépistémologie」の研究に進めさせることになったのです。
大変残念なことに、僕が金森先生に直接お会いしたのはたった一度しかありません。僕が教育学部基礎教育学コースに3年生で進学したわずか2ヶ月後、金森先生はガンで亡くなられたからです。
「生・権力論と教育」のゼミのイントロダクションに付き添いの方(その方は金森先生の愛弟子であるO先生で、初回以後の授業をすべて代行していただくことになりました)の肩を借りてやってきた金森先生は、「今学期の最後までは僕は生きることができないだろう」と宣言しました。衝撃でした。
このイントロダクションで、金森先生が話したこと全て(いやまくしたてたと言っていいかもしれない)をここで述べるスペースはありません。一つだけ紹介しましょう。
人間が人間としてあるのは、生物学的要件のみによるものではない。人間は、人間とみなされることによって、<人間化>する。そして現在、人間とみなされないことによって、非人間として、命を軽んじられ時に奪われる事態があまりに数多くある
残念ながら、イントロダクション以後、体調の問題で、金森先生は授業に訪れることはありませんでした。しかし、イントロダクションでの様々な言葉に触れ、彼の著作を読み進め、金森先生が指定したゼミ文献(アーレント『人間の条件』、アガンベン『ホモ・サケル』、安楽死・水俣病に関する文献、安部公房、井上光晴などの原爆文学)を読み進めていくなかで、僕は金森先生を私淑するようになりました。
金森先生の思い出話はここで終了しましょう。金森先生が専門に研究していた分野、そして現在僕が特に集中的に勉強している分野、それが「エピステモロジー」でした。前回の自己紹介でのごく簡単な説明を繰り返すならば、「エピステモロジー」は主にフランスで発達した科学史—科学哲学研究であり、科学(特に自然科学)の知、科学における様々な概念がどのように形成されてきたのかを内在的にたどる分野です。
先ほど、僕は人の生き方を方向付ける「生権力」に関心を寄せたと書きました。なぜ金森先生が(あるいはフーコーが)エピステモロジーと「生権力」の両方を研究したのか?両者の理論的関係はいったい何か?これが、僕が追究しようとしている課題です。その説明をするために、前回の自己紹介で十分展開できなかったエピステモロジーをより詳細に紹介する必要があります。
しかし、もうだいぶ長くなったので、あとは次回にまわしましょう。金森先生の言葉を引用し、エピステモロジーと生権力の関係を示唆することを以って筆を終えます。
しかし、もうだいぶ長くなったので、あとは次回にまわしましょう。金森先生の言葉を引用し、エピステモロジーと生権力の関係を示唆することを以って筆を終えます。
(…)決定的な影響を受けていたのが、ミシェル・フーコーです。20~30代にかけてさんざん読みましたね。彼の問題設定が、今でも私の根っこに息づいています。中でも知識が必ず色々な形で権力につながるという考え方。権力を持つこと自体が悪いわけではありませんが、それが一般人の健康や安全を脅かす場合もあるわけで。そういう物を対象にした研究をしています。 (https://www.bookscan.co.jp/interviewarticle/495/all#article_bottom)
それでは、また次回も引き続きよろしくお願いします!
p.s.
当日の企画では、僕は「高大接続」についてを取り上げます。教育学やっている人にまさにスーパー適任の企画です笑
文部科学省を中心に、高校と大学のそれぞれの教育を連続したものにする「高大接続」という制度設計が進められています。でも、「連続した教育」って?高大接続改革の問題点を明らかにし、人文学の立場から高大接続を捉え直します!
次回の記事でもう少し突っ込んで紹介したいと思います!
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「ジブン×ジンブン」企画ID:386
第69期駒場祭にて開催東京大学駒場キャンパス
(東京都目黒区 京王井の頭線・駒場東大前駅東口よりすぐ)
会場:1号館1階 112教室
日時:2018年11月23日(金)9:00-18:00/11月24日(土)9:00-18:00/11月25日(日)9:00-17:00
※25日(日)のみ終了時間が早まりますのでご注意ください。
入場料:無料(任意カンパ制)
「ジブン×ジンブン」企画ID:386
第69期駒場祭にて開催東京大学駒場キャンパス
(東京都目黒区 京王井の頭線・駒場東大前駅東口よりすぐ)
会場:1号館1階 112教室
日時:2018年11月23日(金)9:00-18:00/11月24日(土)9:00-18:00/11月25日(日)9:00-17:00
※25日(日)のみ終了時間が早まりますのでご注意ください。
入場料:無料(任意カンパ制)




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