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「メンバー自由語り」も6回目、今回のテーマは、「Twitterで木村鷹太郎のbotを作ってみた話」です。
botはロボットの略で、ここでは「自動で台詞をつぶやくTwitterアカウント」ぐらいに理解してください。
「木村鷹太郎って誰?」というかたもそうでないかたも、お楽しみいただける記事を目指しました!
ちなみに、シンポジウム「人文学の最前線」の紹介記事をお読みいただくと二倍楽しめます。
他のメンバーの自由語りも読むと五倍楽しめます。
未読の方はそちらもぜひどうぞ。
この記事のタイトルは、かの有名な内村鑑三(1861年~1930年)の「余は如何にして基督信徒となりし乎」(1895年)……ではなく、
おそらくそれを意識していただろう「余は何故に日本主義(真神道)を執るに至りしか。」という文章(『日本主義』第48号、1900年)を元ネタとしています。
それを書いた人物こそ、当然ながら、この記事の主題である木村鷹太郎(たかたろう)です。
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木村鷹太郎。この記事には眼鏡のおぢさんがたくさん出てきます。 以下、肖像写真はどれもウィキメディア・コモンズより。 |
(以下、ややこしいので、この記事の筆者である木村悠之介については「木村」あるいは「わたし」、
記事の主題である木村鷹太郎については「鷹太郎」で統一します。
ちなみによく訊かれるのですが、鷹太郎とわたしとの間には親戚関係はありません。
もちろん意識してしまっている面がないことはないですが、基本的には偶然です。)
鷹太郎は、1870年に生まれ、1931年に亡くなっています。
つまり、内村鑑三とはほぼ同時代に生きた人間です。
しかし内村とは違い、鷹太郎の著作が岩波文庫に入る……ということは、おそらくないでしょう。
そしてタイトルからわかるように、内村がキリスト教徒であるのに対し、
鷹太郎は「神道」、正確には「真神道」(新神道)の徒を自認する人間でした。
鷹太郎について詳しくは次に説明するとして、「木村鷹太郎bot」とはこれのことです。 Tweets by kimutakabot Follow @kimutakabot
つい先日、鷹太郎が生まれてから(西暦では)ちょうど148年目にあたる、
2018年10月12日にツイートを開始しました。
木村鷹太郎とは誰か?
鷹太郎を知るためには、まずは彼がどのようなことを書いていたのか、実際に見てもらうのが手っ取り早いでしょう。
botから、いくつか紹介します。
神武天皇の時代はモロツコから尚ほ南方に進んでセネガルのガムビヤが都であつたらしい。故にガムビヤを別名 Ba-Dimma と謂うて居る、ヂムマは蓋神武で、バヂムマは「神武の都」を意味する。|雄上15— 木村鷹太郎bot (@kimutakabot) 2018年10月12日
ケヒウス、カシオピヤ、アンドロメダ、ペルセウ等は当然日本の気比の大神、橿日の女神、櫛稲田姫、須佐之男命であつて、これ等は又た出雲の祖先であり、其れからして出雲王朝が出来、其の王位を継ぎ給ふたのが我日本皇室である。|星座529— 木村鷹太郎bot (@kimutakabot) 2018年10月12日
仲哀天皇、応神天皇、神功皇后の如きは西洋の北人の崇拝する所のトーラ、ヲージン、ジンゴー又フリヤ等武勇の神で、神功皇后の武勇主義は現今の西洋でも『ジンゴーイズム』なる畏ろしい好戦主義の別名となつて居る程である。|雄下19— 木村鷹太郎bot (@kimutakabot) 2018年10月13日
神功皇后の御子応神天皇は研究上埃及の有名な武勇の王ラムセス(宇治を意味す)一世に当り、ヒクソス(天を意味す)族の出である。|雄下22— 木村鷹太郎bot (@kimutakabot) 2018年10月14日
天照 御神は平和の神、農工、機織、政治、教育、軍事の神である。身ら甲冑を装うて国家を防御し玉ふ神――之れを「アマゾン」と云ひ、又た向ふ所敵なきの神である。太古の全世界を統一しようとしたアレキサンドル大王が東方を征伐する時、陣中当に祭つて居た神は此天照アテイナの神であつた。|雄上11— 木村鷹太郎bot (@kimutakabot) 2018年10月16日
……おわかりいただけただろうか。天孫彦番能邇々芸命はアルメニヤの天からバヒロニヤ出雲に天降り玉うたが、日本古典の地理は此点から忽然として北希臘の高千穂の峯即ちテスサリヤの Ph-thio-tie 即ち高・千穂・峯に移つて居る。|雄上13— 木村鷹太郎bot (@kimutakabot) 2018年10月17日
「わかる」かどうか以前に、「わかる」とは何か、という問題が出てきそうですが、
簡単に言えば、
日本の神話や歴史における様々な人物・事象を、として、鷹太郎は知られています。
世界の神話や歴史と時空を超えて語呂合わせ的に結びつけ、
「古代には日本民族が世界を統治していた」、と主張した人
日本、及び全世界の人々よ来れ。来つて日本民族祖先の歴史を見よ。其太古に於ける雄図は四海を蔽ひ、全世界の探検、開拓、経営に於て、学問の奨励、教化の宣伝に於て、――一切の善美に於て、真に雄壮偉大、又た光栄あるものであり、又た全世界の先導者であつた|雄上1-2— 木村鷹太郎bot (@kimutakabot) 2018年10月13日
鷹太郎がこのような主張を始めたのは、41歳のとき。
1911年に上巻が刊行された『世界的研究に基づける日本太古史』においてのことです。
翌年に出た下巻では、「木村君は発狂せるが如し。」という「或博士」の言が引かれていますが(序文1頁)、
鷹太郎はそのような批判も意に介さず、この「新史学」を証明することに後半生を費やしました。
単に是日本学を益するのみに非ず、又能く東西を連絡し、日本支那方面の材料を以つて、西洋所伝の材料を補正し、以つて世界の太古、人類学及び人種学の完成を致さしむるべく、吾人の発見は此の方面に於て確かに一新紀元を開くものたるべし。|太古上23— 木村鷹太郎bot (@kimutakabot) 2018年10月11日
あるいは鷹太郎は、プラトンやバイロンを日本語に翻訳したことでも知られています。
彼のギリシアへのあこがれは、「新史学」の世界観とも切り離せないものとしてありました。
しかし実は、今回の記事でわたしが彼を取り上げるのは、この「新史学」や翻訳を紹介するためではありません。
むしろわたしは鷹太郎の前半生、すなわち、「余は何故に日本主義(真神道)を執るに至りしか。」が書かれた時期にこそ注目しています。
それは前回の記事で述べた、「神道改革」という視座に関連するものです。
わたしは卒業論文で鷹太郎を取り上げましたが、それはまさにこの文脈においてのことです。
(最近『教育勅語の戦後』を刊行された長谷川亮一氏のブログにも、鷹太郎の紹介があります。
「新史学」について詳しく知りたい、という方はそちらをご覧ください。)
「神道学」の源流としての木村鷹太郎
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| 「神道学」の建設に携わった、田中義能(左)と井上哲次郎(右)。 |
東大……正確には東京帝国大学の時代、日本が戦争に敗けるまでのことです。
今からちょうど100年ほど前の1920年、東京帝大の文学部に「神道講座」が設置されました。1923年に研究室ができ、1926年には「神道学会」が作られています。
当時は東大が神道研究の中心(の一つ)だったのです。
しかし1946年、神道研究室は敗戦を受けて改組され、最終的に宗教学研究室に吸収合併されました。
(神道研究室については1996年に刊行された島薗進氏・磯前順一氏編『東京帝国大学神道研究室旧蔵書 目録および解説』が詳しいですが、オンラインPDFで読める論文として、遠藤潤氏による「文学部神道講座の歴史的変遷」があります。)
そもそも「神道」を「学問」するとはどういうことか、それは学問になりうるのか、という、須河原さんの回にも少し関わるような問題もありますが、それだけで論文が書けてしまいますのでここでは省略します。
この東大における「神道学」の中心的な人物として、田中義能(よしとう、1872年~1946年)を挙げることができます。
田中については、磯前順一氏の『近代日本の宗教言説とその系譜』(岩波書店、2003年)に収録されている「近代神道学の成立―田中義能論―」をはじめとし、近年研究が積み重ねられてきました。
田中の著作としては1918年の『神道哲学精義』などがあります。
そしてここではもう一人、田中の師・井上哲次郎(1855年~1944年)に注目しましょう。
井上は、日本最初の哲学辞典『哲学字彙』を編纂したこと(1881年)や、
日本人として初めて帝大哲学科の教授となったこと(1890年)、
「教育と宗教の衝突」論争を起こし、キリスト教を攻撃したこと(1892年~)などで知られています。
(『哲学字彙』は先日のシンポジウムでも出てきましたね。)
井上の著作に、1912年の『国民道徳概論』があります。
彼はこの本で、「国民道徳」論の中心に「神道」を置きました。
そして、8年後の神道講座設置は井上が発案したもので、弟子であった田中義能を教員として迎えることとなったのです。
実は井上は、「教育と宗教の衝突」論争のときには「神道」には着目していませんでした。
井上が「神道」に注目するきっかけとなっただろう本が、『国民道徳概論』の文献リスト、「国民道徳研究書目」の中に含まれています(同書附録114頁)。
それが、木村鷹太郎の『日本主義国教論』(1898年)です。
1897年、鷹太郎や井上哲次郎らは『日本主義』という雑誌を刊行しています。
鷹太郎は「生々主義」「光明主義」「繁栄主義」「現世主義」といった表現を用いて神道を持ち上げ、逆に仏教やキリスト教をネガティブなものとして攻撃しました。
これが、冒頭で出てきた「日本主義」=「新神道(真神道)」です。
「日本主義」は、「神道改革」の流れの中で出てきたものでした。
この『日本主義』への参加を機に、井上は鷹太郎の神道論に同調していきます。
『国民道徳概論』や「神道学」は、その延長線上にあるものでした。
それこそ田中の『神道哲学精義』にも、「生々主義」の語が出てきたりします。
鷹太郎は田中と同じく井上の弟子であり、『日本神道史』を書こうと計画したこともありました。
もし鷹太郎が「新史学」の道へと進んでいなければ、「神道学」の祖は田中ではなく、鷹太郎だったかもしれません。
(ともかく鷹太郎は「新史学」だけじゃないよ、ということが、木村鷹太郎botを作った一つの動機でした。)
木村鷹太郎から考える「インテレクチュアル・ヒストリー」、そして「ジブン」
そのような鷹太郎と「神道学」の関係は、これまで研究されてきませんでした。(実は木村による論文「明治後期における神道改革の潮流とその行方」が来年、『神道文化』という雑誌に掲載される予定で、上記はその中で論じている内容の一部です。)
そもそも、鷹太郎に関する研究自体が、そこまで多くなかったと言えます。
伝記的研究のほか、バイロンの翻訳や「日本主義」に関する論文がいくつかあるくらいで、
前半で紹介した「新史学」などは学術的には全く取り上げられてきませんでした。
「新史学」の内容からしたら当然のことだと思われるでしょう。
(一方、「トンデモ」愛好家の間ではしばしば言及される存在でした。)
そんな中で2017年、「新史学」以降の鷹太郎を学術的に取り上げた例外的な本が出ました。
勉誠出版から刊行された、小澤実氏編『近代日本の偽史言説 歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー』です。
11章中3つの章に鷹太郎が登場し、索引を見ると合計16ページにもなっています。
(先述した長谷川亮一氏も論文を書かれており、鷹太郎に言及しています。)
この本は、SNSでも話題になった同名のシンポジウムをまとめ、補ったものです。
「偽史(pseudo-history, false history)」を定義することは難しいですが、例えば、「ジンギスカンは源義経だった」、「ユダヤ人と日本人は同じ祖先を持っている」、「アトランティスは実在していた」といった主張が挙げられます。
もちろん、これらの説を学術的に立証しようとか、あるいはただ単純に否定しようということが目的の本ではありません。
これらの主張が近代においてなぜ湧きおこってきたのか、あるいはどのような人々がなぜそれらの主張を必要としていたのか、といったような歴史的な文脈を検討する上で、学術的な手法が有効なのです。
この「手法」として、本のサブタイトルにも含まれている「インテレクチュアル・ヒストリー」に注目してみましょう。
「インテレクチュアル・ヒストリー」については聞き覚えのない方がほとんどだと思うので、
ヒロ・ヒライ氏による「インテレクチュアル・ヒストリーとはなんですか?」という論文(2013年)を参照します。
(クリックするとPDFのダウンロードが開始されますので注意してください。)
ヒライ氏は、「思想史・哲学史と歴史学の交差する領域」としてインテレクチュアル・ヒストリーを位置づけ、
そこでは、個々の思想家だけではなく、有名無名の文学・芸術作品、さらには過去の大小の出来事までもが研究の対象とされます。特徴的なのは、各作品や出来事が成立する背景にあった「知のコスモス」の理解におおきな努力がはらわれることです。と述べています。
『近代日本の偽史言説』における「知のコスモス」は、一方ではアトランティス大陸にまつわる主張から、他方では政府内部で議論されていた「皇国史観」までもを含むものでした。
そして、鷹太郎における「新史学」から「日本主義」という広がりも、まさにそのような「知のコスモス」の中に成立していたものです。
ところで鷹太郎の「新史学」は、例えば長谷川氏のブログの表現で言えば「それまでの名声を一気にかなぐり捨てる」ものとして捉えられてきました。
しかし、鷹太郎における「日本主義」時代と「新史学」時代は、本当に断絶したものなのでしょうか?
「日本主義」時代の鷹太郎は、以下のように述べています。
ここからは鷹太郎が、言語の「意味」に着目したことが伺えます。余が日本主義の研究に導を為し、光明を与へたるは、実にトレンチ氏の英語論となす。即ち我国典及び古書等に於て、最も数々用ゐられたる意味ある言語或は我国の神々の名は、明に意味あり、又我国民の主義とし理想とせる所のものなるを感じ、此方針を以て国書に対す。|鳴潮190— 木村鷹太郎bot (@kimutakabot) 2018年10月15日
例えば「日本主義」における「繁栄主義」の主張は、『古事記』における神々や人間の名前に「足る」などの言葉が含まれていることを根拠にしています。
一方、「新史学」では日本語と外国語の類似から日本民族と世界が結びつけられていきました。
言葉の意味を連想する、という根本的な「方法」を、「日本主義」と「新史学」は共有していたのです。
大学の学問であった「神道学」にも繋がりうる「日本主義」と、学界から異端視され顧みられなかった「新史学」。
今では「偽史」とされる「皇国史観」が、政府の「正史」となりえた「知のコスモス」。
「常識」と「狂気」の境界線は、実は曖昧で、地続きなものなのです。
そう考えると現代のわたしたちは、果たして木村鷹太郎を笑うことができるのでしょうか?
それこそ鷹太郎も東大出身で、将来を期待されていた人材でした。
高橋龍雄「木村君は、帝大哲学選科出の秀才で、東洋倫理史の著は夙に高評であり、世人はこの道に於て前途を嘱目したのである」|木村鷹太郎氏を弔ふ49— 木村鷹太郎bot (@kimutakabot) 2018年10月23日
東大生と言えば、かのオウム真理教においては少なからぬ東大生が幹部として活動していたことが知られています。
駒場祭でオウムの講演が行われたこともありました。
あるいは、宗教学者とオウムの関係は今なお複雑な問題です(リンク先、8月9日の「利用される「宗教学者」 問われる宗教研究の姿勢」)。
(自己紹介で言及した「宗教学の死」も、これに少し関連しています。)
「シューキョー」にまつわる問題は、「ジブン」ではない遠い場所の誰か、だけのものではないのです。
「ジブンは大丈夫だ」と、そう思っていませんか?
あるいはこの問題は、「シューキョー」に限らないほうがよいかもしれません。
原田さんも引用していた廣川さんの一文を、もう一度引きましょう。
わたしは、人文学をないがしろにして、自分の目の届く範囲の時代や地域のことしか考えられない人間ばかりになると、人類全体としてダメになっていくと本気で思っている。いや、自分の目の届く範囲の時代や地域のことすら考えようとしない人間も増えているのかもしれない。SNSの時代になって、そんな狭隘な視野をもつ人間がますます増えている。自分が共感できる意見しかタイムラインに並ばないように設定して、自分の価値観をただただ強化するだけ。わたしもそうなってしまいそうだ。だけど、こんなはずじゃなかっただろ人間。鷹太郎のように人文学を学び、様々な時代や地域に目を向けてすら、「狂気」の道に進むことがあります。
いわんや、フィルターバブル時代の現代人をや。
「常識」と「狂気」のフロンティアは、皆さんの、否、わたしたちの足元にあるのです。
木村鷹太郎は、あなたの心のなかにも潜んでいるかもしれません……。
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それでも、だからこそ、わたしたちは学び続けなければなりません。
まずは、わたしたちを駆り立てる(時に仄暗い)衝動に目を向けること。
そして、常に「他者」に対して思考を開いていくこと、時には「ジブン」が変わることをも恐れないこと。
それが「共通言語の外面化」であり、そこに活路があるのだと思います。
学の海に漕ぎ出しましょう。沈まないように。溺れないように。学の海、八重の潮路ははてもなし。|鳴潮 序— 木村鷹太郎bot (@kimutakabot) 2018年10月12日
海は恐ろしい、しかしそれでこそ魅力的なものであるのです。
駒場祭にてお待ちしております。
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「ジブン×ジンブン」企画ID:386
第69期駒場祭にて開催東京大学駒場キャンパス
(東京都目黒区 京王井の頭線・駒場東大前駅東口よりすぐ)
会場:1号館1階 112教室
日時:2018年11月23日(金)9:00-18:00/11月24日(土)9:00-18:00/11月25日(日)9:00-17:00
※25日(日)のみ終了時間が早まりますのでご注意ください。
入場料:無料(任意カンパ制)




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