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目次
はじめに
佐藤健二教授(社会学)「大学における学問の「最前線 forefront」とはなにか」
西村明准教授(宗教学)「ホームのようなアウェイのような―宗教学と研究とわたし―」
高岸輝准教授(日本美術史)「美術史研究・文化財保護と画像技術の最前線」
阿部公彦教授(英米文学)「英詩はわからない!が教えてくれること」
芳賀京子准教授(西洋美術史)「人文学の最前線」
総括コメント
木村の感想
はじめに
10月20日、第17回東京大学ホームカミングデイの一環、文学部の企画として、シンポジウム「人文学の最前線」が開催されました。ホームカミングデイとは、毎年10月に開催される卒業生のためのイベントで、在学生や地域の人々など、卒業生以外に対してもオープンな催しです。
今回、「ジブン×ジンブン」メンバーの木村が同シンポジウムを聴いてきたため、その内容について、簡単に紹介します。
場所は本郷キャンパス法文2号館の1番大教室、時間は14時半から16時半(ただし実際は、延長して17時まで続きました)。
1番大教室は文学部の大人数講義で使われる階段教室です。
聴衆の数は40~50人といったところで、老若男女……どちらかというと「老」と「男」が多め、という印象でした。
まず、登壇した先生方の研究分野と論題は以下の通りです。
基調報告以下では、各報告についての内容を紹介したのち、感想を述べたいと思います。
報告者:佐藤健二文学部長・教授(社会学)「大学における学問の「最前線 forefront」とはなにか」
ディスカッション
司会:野崎歓教授(フランス文学)
参加者:
西村明准教授(宗教学)「ホームのようなアウェイのような―宗教学と研究とわたし―」
高岸輝准教授(日本美術史)「美術史研究・文化財保護と画像技術の最前線」
阿部公彦教授(英米文学)「英詩はわからない!が教えてくれること」
芳賀京子准教授(西洋美術史)「人文学の最前線」
内容紹介は各レジュメと木村によるメモを元にし、キーワードに関連するリンクを補いました。内容はどれもシンポジウム上で出たものですが、細かい流れは便宜的に入れ替えたりまとめたりしている場合があります。
本記事は先生方に許可を得たものでも校閲を経たものでもないため、内容の責任は全て紹介者である木村にあります。どうかご承知おきください。
(もし間違いがあることに気づかれたかたがいらっしゃったら、「ジブン×ジンブン」宛にご連絡くださいますと幸いです。)
佐藤健二教授(社会学)「大学における学問の「最前線 forefront」とはなにか」
佐藤健二先生には、『読書空間の近代』、『流言蜚語』、『ケータイ化する日本語』などの著書があり、先月には『文化資源学講義』を刊行されています。佐藤先生は、いわゆる6・8通知とその年のシンポジウム、あるいは「文学部」にまつわるネット上のネガティブなイメージに触れつつ、この報告が主眼とするのは「文学部は古いこともやっているが新しいこともやっている」ということではなく、むしろ明治における文学部誕生の経緯を顧みると、文学部の学問は当時のフロンティアを開拓するものとしてあったのだ、という点にある、と述べました。
まず、「東京大学140年の歴史をふりかえって:明治近代の「大学」の学問の新しさ」において佐藤先生は、江戸時代の百科全書『和漢三才図会』(1712年)における「天・地・人」(天文・地文・人文―じんもん)の延長線上に、明治の東大における学問の出発点である『哲学字彙』(1881年)の「法・理・文」をいわば「和漢洋三才図会」として位置づけます。
そして、それ以降多くの学問の「名前」が誕生していくことが指摘されます。
例えば、「哲学」、「心理学」、「世態学」、「博言学」など。
以下、3つの点が強調されました。
①名前を付ける、概念を作る、という行為は、本質をとらえようとする、人間だけが持っている文化です。そこには、言葉を使いこなす人間の主体性があります。
②「心理学」ははじめ、「物理」に対して人文科学全体を指すものとしてありました。それが現在のように実験研究としての「心理学」に限定されていくわけで、そのように学問の「名前」づけには複雑でシステマティックな関係性が現れます。学問には「包括性」から「専門特化」へ、という2つの方向性がありますが、細分化していく、ということだけが必ずしも優れた科学であるというわけではありません。包括性を求める原点にこそ、核心があるのです。
③「世態学」(社会学)や「博言学」(文献学・比較言語学)は、現在では失われた名前です。「博言学」などは「博物学」と対比される広がりを持つ名前でした。これらの名前は、当時においては実らなかった、ということを示すのみで、後に発展する可能性をも秘めていたものなのです。続く「文学部におけるフロンティア形成:新しい分野の構築・未開拓領域への挑戦」においては、1929年に設置された新聞研究室と2000年の文化資源学研究専攻が挙げられ、それぞれの限界に触れつつも、東大において新しい学問領域がひらかれたことが述べられました。
最後の「大学における学問の創造的な公共性について」では、佐藤先生が研究対象としてきた柳田国男の文章(「時代ト農政」1910年)が引かれます。
先行研究における同文章への批判に対し、佐藤先生は前後の文脈をも参照することで、柳田の議論に多数決批判としての公共性、そして世代間倫理を読み込みます。
読み直し、テキストとの向かいかたというところに、文学部が社会に果たす役割、可能性があるのだ、と、佐藤先生は締めくくりました。
西村明准教授(宗教学)「ホームのようなアウェイのような―宗教学と研究とわたし―」
西村明先生には、『戦後日本と戦争死者慰霊―シズメとフルイのダイナミズム』という主著があります。「シズメ」と「フルイ」という概念はまさに佐藤先生の言うところの「名づけ」である、と、野崎先生はコメントしています。西村先生によると、書名にある「戦争死者」もまた、「戦死者」「戦没者」とは異なるものとしての造語でした。それは行政上は「一般戦争死没者」、英語では"War Dead"と呼ばれるものです。「宗教学と研究とわたし」というサブタイトルは、西村先生における「3つのホーム&アウェイ」に対応しています。
まず1つ目は、「宗教学という営み」。
「宗教学」はヨーロッパで始まった、ここ150年ぐらいの新しい学問です。東大では1905年に講座が設置されており、人文学の他の分野に比べると後発、ということになります。
宗教学の始まりは、大航海時代以降という時代状況において、ヨーロッパの官僚や学者たちが世界各地(=アウェイ)へ赴き、そこで他者の信仰に出会ったことから来ています。彼らが本国(ホーム)に報告した世界各地の事例は、今も耳にするような「宗教」理解の枠組みを形成していきました。例えば「アニミズム」「トーテミズム」「多神教」といったような古典的な概念は、この時代に生まれてきたものです。
そのため宗教学はいわば、(人文学の最前線ならぬ)「最前線(フロンティア)の人文学」でした。人類学や言語学などもこれに類します。
また、「ホーム」であるはずの東大の宗教学研究室自体も、「アウェイ」の性質を持っています。
例えば考古学・中世史・英文学といった学問領域で研究している人びとがその内部においてある程度研究の対象を共有しているのに対し、宗教学では、研究に用いる言語を見てみるだけでも、楔形文字からヘブライ語、サンスクリット語など、多岐にわたっています。
そのため、宗教学の教員と院生が全員出席する合同ゼミ「木曜ゼミ」は、宗教学内の「異種格闘技」とでも呼ぶべき様相を呈します。皆が時代も場所もバラバラな研究をしているためです。
それでも「宗教とは何ぞや」というメタレベルの議論が共有されているため、合同のゼミが可能になるのです。
ちなみに、東大の宗教学者であった柳川啓一は、宗教学のフットワークの軽さを「野次馬性=ゲリラ性」と表現しています(「異端宗教学序論」)。
なお、宗教学研究室の教員が中心となって現在刊行中のシリーズとして『いま宗教に向きあう』があります。
2つ目の「戦地から帰り、戦地に帰る?」は、西村先生の専門である遺骨収集・戦地慰霊の「研究」について述べるものです。
ここでは、戦地から本国に復員した元兵士が、後に慰霊のために再び戦地を訪れる、という事例と、戦死した兵士の遺族がその足跡を追うべく戦地を訪れる、という事例が紹介されます。戦地というアウェイ、本国というホームの間を往還しながら、目に見えない存在(死者)との対話、死者と向き合うことが行われるのです。
「わたし」すなわち西村先生の生き方が述べられたのが、3つ目の「雲仙市―東京のOターン生活」です。
2013年に東京大学に着任した西村先生は、はじめは前任校(鹿児島大学)のあった鹿児島より、2016年からは雲仙市より、単身赴任という形で勤務されています。軸足はあくまでホーム(九州)にあるのです。雲仙市は、時には学生を交えたフィールドワークの現場にもなります。
西村先生は、地元・神代小路地区では「神代小路まちなみ保存会」に参画するなどしつつ東京では大学に勤務する、という「二拠点生活」を行っています。
調査する側とされる側とのあいだ。それは新しい「生き方」です。
「フロンティアは足元にあったんだ」とは、西村先生の結語でした。
野崎先生は、カミュの自伝的小説『最初の人間』を引き、遺された者が死者と向き合う、という行為の普遍性を指摘しつつ、一方「慰霊」に当たる概念はフランスになく、日本人の宗教性が表れているのではないか、とコメントされました。
高岸輝准教授(日本美術史)「美術史研究・文化財保護と画像技術の最前線」
日本中世美術史を専門とする高岸輝先生には、『室町王権と絵画』、『室町絵巻の魔力』などの著書があります。「魅力」ならぬ「魔力」。高岸先生曰く、美術史は「扱う対象は古いが、用いる技術は最先端」です。
代表的なものが、「写真」。明治時代において、写真はまさしく最先端の技術でした。
そして、美術作品の前で美術を論じる、ということはできません。作品の比較や作品に関する情報の伝達を可能にする写真技術があってこそ、美術史は可能になったのです。
モノクロからカラー、ポジ写真からデジタル写真への移行を経て、現在に至っています。
ところで、文化財保護に関する法律は、何か問題があってから後手後手で作られてきました。
1950年の法律である文化財保護法の場合は、前年の法隆寺金堂壁画焼損事件が制定のきっかけです。(金閣寺の放火事件も同年のこと。あるいは戦前にも、佐竹本三十六歌仙の切断事件や吉備大臣入唐絵巻の海外流出など、他にも文化財にまつわる様々な問題がありました。)
実は、この法隆寺金堂壁画焼損事件に関しても、写真技術が大きな役割を果たしたのです。
現在の金堂では焼損前の壁画が再現されていますが、その壁画は、焼損前にすでに行われていた模写に加え、1935年に撮影された三色分解カラー写真などを元にして作られました。(参考)
カラー写真は当時では最先端の技術。今ではその壁画写真自体が重要文化財になっています。
現代に移ると、最近では「e国宝」というサービスがあり、国が所蔵している国宝についてはオンラインで超高精細度の画像を見ることができます。
昔なら教授レベルの人しか持っていなかったような細密な画像を、今では学生がスマホで見られる。時代も変わったものです。
デジタル人文学関連で高岸先生が携わっているプロジェクトとしては、人文学オープンデータ共同利用センターの「顔貌コレクション(顔コレ)」があります。
これは、国際的なデジタルアーカイブの規格であるIIIFを採用し、美術作品に登場する様々な「顔」を効率的に比較するためのビューワーを開発するプロジェクトです。
集めた顔貌には「老人」「男」「武士」など様々なタグが付され、作品内での顔の比較だけではなく、作品間での比較も行えることで、例えば同じ作者によって描かれた顔を特定することができる、というわけです。
顔コレは本物からデジタルデータへ、という流れですが、逆に「本物」を作るための技術活用の例として、愛知県立芸術大学で進められている「月次祭礼図模本」の復元プロジェクトを挙げることができます。模本を元に、当時の技術ではこうだっただろうという日本画家の作業によって「本物」を復元するのです。
また、空襲で焼失した名古屋城本丸御殿の障壁画も近年立派に復元が進められ、現在では、空襲を免れた本物の障壁画・DNPによって印刷された精巧なコピー・職人が復元した障壁画、というように、異なる技術によってつくられた障壁画たちが多層的に展示されている様子を見られます。
美術史学の「最前線」は、デジタルと職人技との間を行ったり来たりする、というものなのです。
阿部公彦教授(英米文学)「英詩はわからない!が教えてくれること」
『文学を〈凝視する〉』などの著書がある阿部公彦(きみひこではなく、まさひこ)先生は、英米のみならず日本文学にも至る領域を研究されています。阿部先生はまず「東大文学部の謎」として、「教員の研究室がどこにあるのかわからない」「秘密の地下通路がある?」「変人が多い?」「教員が何の研究をしているのかわからない」「なぜ阿部先生が英語民間試験についていろいろ言っているのかわからない」といったことを挙げます。
この報告はそれらの「謎」のうち、「教員が何の研究をしているのかわからない」に答えるものです。
「英詩はわからない!」というタイトルの「わからない」ということにも、いくつかの内容が含まれています。なぜわからないのか、何がわからないのか、わからない理由は何か、日本人には特にわからないのか。
そこから、「わからない」ということにこそ英詩を読み解くための意味が何かあるのではないか、という可能性が出てきます。
文学とは言葉の魅力・機能・背景を考える学問であり、「変じゃないか」という違和感を起点に、人間や言語についてのより普遍的な認識を探求するものなのです。
語学・文学といった領域は高岸先生や芳賀先生の美術史に比べるとビジュアル面が地味ですが、代わりにこの報告では「音」がクローズアップされました。
わたしたちが英詩が「わからない」というとき、以下のような「苦情」が出てきます。
①「さわがしい」。③については、ミルトンの『失楽園』は当時の人も何を言っているのかわからなかったため、作者による要約が作成された、というエピソードが紹介されます。
②「大袈裟で、うそっぽい」。「芝居がかっている」
③「英語がムツカシイ」。「何言ってるのかわからない」
④「状況が突飛でついていけない」
⑤「暗い」「読んでいると陰気になる」
⑤については、メランコリー(鬱)の流行、という背景がありました。
①②については事例として、ワーズワスの『序曲』が挙げられます。
音読すると、強弱が交互に来ること、ワーズワスは「ee」の音を好んでいたことなどが分かります。
さらにここで、「日本人はなぜ英詩がわからないのか」という謎について、阿部先生は日英の「声の文化」の違いに着目します。
具体的な材料となるのは、日本の安倍首相と英国のメイ首相、それぞれが議会で行った答弁の動画です。(同じような状況を比較するための材料設定です。)
二つの答弁を比較すると、日本語の答弁はテープ起こしをしたら読める文章にならないようなもので、それでもその場では意味と意図が伝わる、聴く分にはおかしくないものとなっています。
それに対して英語の答弁は、文字に起こせばそのまま文章として成立するようなもの。
(ついでに言えばこの報告自体も、レジュメ読み上げではなくて語りによるものですが、呼吸が共有されることで分かった気にさせられる、という日本語の性質を持っています。)
つまり、英語はしゃべる時にも「文」で語るのに対し、日本語においては「言」は「文」を崩したものであり、乖離があるのです。
「英詩がわからない」(大袈裟に感じる)理由も、この差異に原因があるのではないでしょうか。
ヨーロッパの近代文化においては「声」と思想の連動が様式化されましたが、日本語にはそれがありません。そのため『序曲』のような「思想性のある声」に違和感が生じるのです。
野崎先生は、政治家のディスクールに代表されるような文化の違いはやはりある、ということを、フランス人は相槌を打ってくれないことがあってわれわれは不安になるが、実際にはそれでもうちとけていることがある、という例を出してコメントされました。
芳賀京子准教授(西洋美術史)「人文学の最前線」
次世代人文学開発センターに勤めている芳賀京子先生には、分厚い主著『ロドス島の古代彫刻』があります。次世代人文学開発センターもまた、阿部先生が述べられた「何をしているのかわからない文学部」に当たるでしょう。
センターの前身は1966年にできた「文化交流研究施設」。当時は最先端だった「文化交流」でしたが今では普通のこととなり、2005年に「次世代人文学開発センター」に変わりました。「最先端」は古びるスピードが速いのです。
芳賀先生の専門は「古代ギリシア・ローマ美術史」。扱うのは2000~3000年前と、ある意味「アウェイ」でもあります。
ここでこそ美術史ですが、欧米では考古学を名乗っており、「古典考古学」とも呼ばれます。
人文学は今、デジタル化の波を受けつつあります。
・書き言葉(文字)上から下に向けて、デジタル化されやすそうな順に並べてみましたが、「音」に関する阿部先生のお話しを鑑みれば、むしろ音声は抽象的な概念、感覚の方に近いものなのかもしれません。デジタル化の容易さは図式化できない、とも考えられます。
・話し言葉(音声)
・絵画(2次元イメージ)
・立体(3次元イメージ)
・抽象的な概念、感覚
西洋の古代彫刻史において、前1~後2世紀ごろのローマ人は、彼らにとっても時間的・空間的にいわば「アウェイ」であった前5世紀のギリシア彫刻をコピーしていきました(ローマン・コピー)。彼らは現代の3Dスキャンにも比しうるような精密なコピー技術を持っていましたが、デジタル化の波の中にいる私たちはその3Dスキャンを用いることで、新たな視点を得ることができます。
ポリュクレイトスという彫刻作者を例に挙げてみましょう。
彼には「槍をもつ人」「鉢巻する人」といった作品がありますが、それら同じ作者の別の作品を3Dデータで比較すると、顔同士の形状がミリ単位で一致していることが分かります。
一方、このポリュクレイトスについて、彼が作ったかどうか特定できていない作品というのもありました。
具体的に言うと、彼が作った可能性のあるアマゾン(アマゾネス)を象った像には、「ソシクレス・タイプ」「シアッラ・タイプ」「マッティ・タイプ」といった複数の種類があり、「ソシクレス・タイプ」がポリュクレイトスの作品だ、いや「シアッラ・タイプ」だ、というように、先行研究においては意見が分かれてきました。
ここで3Dデータによる分析を用いたのが、芳賀先生らによる2015年の研究でした。「槍をもつ人」「鉢巻する人」と各タイプを比較すると、「ソシクレス・タイプ」の形状一致率が他よりも高いことが分かります。ここから、「ソシクレス・タイプ」こそがポリュクレイトスのアマゾンである、という結論が導き出せるのです。
「人文学の最前線」に話を進めましょう。
普通「最前線」というと、以下の図のようなイメージがあるでしょう。
| 芳賀先生のスライドを元に作成、次も同様。 |
しかし、佐藤先生の挙げた「採用されなかった名前」の可能性が示すように、人文学における「最前線」は決して、一方向的な発展としては描けません。
そして、文学部という場所においては人間の視座が重要です。そこでは、人間を中心としたものの見方が追求されるのです。
総括コメント
芳賀先生の問題提起を受けつつ最後に、「東大文学部という場所がどういう意味を持つのか」という点を含めた先生方の総括コメントが行われました。「(○○先生)」となっている部分は総括コメントに対する反応です。佐藤先生
芳賀先生が述べられた、「最前線は進化論的なものではない」というのはその通りです。「最前線」という言葉じたいが19~20世紀の戦争の中で作られてきた「フロントライン 」、2つの勢力が対峙する前線というイメージや、西へ拡大していくアメリカのフロンティア、というイメージによるものでした。そこから空間イメージ自体が変容している現在、「どこがforefrontなのか」、ということを考える必要があります。
人間を重要視するのもその通りですが、では文学部の場合、人間は何において人間なのか。ここで「言葉」、その場としての「社会」、作り上げられる「心理」が重要です。それにかかわるような形で現れるような「最前線」は、今まで行われてきた学問とは無縁ではありません。AIに関する問題についても、そこに向かって切り込んでいく、切り開いていく、ということになります。
阿部先生が挙げられた「声の文化」の問題も、言葉の問題と深くかかわっています。身体を基礎にした重要な道具としての「声」は、歴史と結びつきながらも未開拓の領域としてあります。
人文学においてまだまだやることは多いです。それを面白がって開拓する、ということこそがエネルギーになるのです。
(野崎先生)AIを論じようという野望がありますか?
(佐藤先生)分からないこともあるから知りたい。嫌なことをやらせる労働のためのAIについては、人々はいわばAIをいじめながらそれを使うかもしれませんが、自分の代わりに楽しいことをやってくれる、というAIは誰も採用しないでしょう。利用できる範囲には限界があるのです。
(野崎先生)講義にはAIを利用しますか?
(佐藤先生)講義はどっちでしょうね(笑)
西村先生
報告時に野崎先生がコメントされた、フランス語における「慰霊」の問題について。確かに訳せません。英語ではcommemoration、「記念」という言葉を用います。すなわち英語では「戦没者記念」ということになりますが、「記念」と「慰霊」は同じなのでしょうか。
ここにおいて、近代国家それぞれの歴史をベースにしながら立ち上がっていく、背後の宗教観や文化観を問わねばなりません。(いちばん一般的なのは「記念」です。)
例えばベトナム戦争における戦没者記念には、大きな像を建てる、といった共産主義的な文脈と、霊とのコミュニケーションという東アジア的シャーマニズムの文脈の両方があります。
それらを比較し、世界の奥深さを探るための道具立てとして、概念なりテクノロジーなりがあるわけですが、使う側の我々の文学部的な感性が問われていると言えるでしょう。
(野崎先生)フランス語では"mémoire"の問題ということになりますね。「記憶」は我々の問題であって、慰霊と違い死者がどう思うかは考えません。文化の差異がはっきり出てくると言えます。
高岸先生
最近では東工大と組んで、色々な『源氏物語絵巻』について、それぞれを描いた流派をAIで判定する、という研究を行っています。(美術鑑賞は「楽しい」領域なのでAIにやらせたくはありませんが、試験的にやっています。)AIはまだ、絵巻のことをわかっていません。とんでもない流派を判定してきたりします。
なぜそんなデータが出るのか? と考えたところ、写真の撮り方が悪い、というデータの問題であることが分かりました。端の方に描かれた顔がレンズの関係でゆがんでしまったものが、全部「狩野派」と判定されてしまったのです。
AIに対して補正をかけていく、という点において、我々はまだ監督ができます。 しかし、今後AIは「賢く」なっていくでしょう。我々はそこから何を勉強できるのか。将棋やチェスは、すでにそうなっています。
阿部先生
詩は墓碑の銘文を起源にしています。記念する、遺す、古いものをコピーする、という行為です。なぜ人はそうするのでしょうか? 再生産、複製への衝動がそこにあります。
そして、佐藤先生が触れた「何かを面白がる」「興味を持つ」ということについて、AIはどこまで解決できるでしょうか。
人間はなぜ生きるのか、「愛」と「欲望」と「記念して遺す」ということがどう繋がるか。そこに文学部という場の意味があります。
芳賀先生
古代ギリシャの墓にも美術があります。墓の上につぼや彫刻を置いていました。あるいは葬式の様子や死の瞬間を絵にしました。死者に対する慰めとして絵が描かれた、という説明が加えられます。
葬式を行うことで死者が慰められる、それがないと死者が化けて出てくる、という「慰霊」のニュアンスが、古代にはありました。キリスト教下では下火になる、という印象です。
AIは、『源氏物語絵巻』のように手、フリーハンドで描いたようなものだと難しいでしょうが、例えば鋳型に関する研究などは失職の危機に立たされます。同じ型を使った像が、3Dデータの解析によって判定できてしまうためです。
しかし、そこからが本来の研究の始まりなのではないでしょうか。
これまでの文学部における研究は、言葉の使い方をひたすら調べていくこと、その知識の集積を学者が誇っていた、という面があります。
今は調べるとすぐに、ある言葉にどのような類例があるか、という情報が出てくるようになっていますが、むしろ研究というのはその先に始まるものなのです。そこが最先端、「人文学の最前線」だと言えるでしょう。
木村の感想
今回、各報告の端々、そして何よりも総括コメントから、それぞれの先生方がお互いの専門分野をはっきりと持ちつつ、一方ではひらき、他方ではひらかれていくことで、一つの議論のための場がまさに展開していく。そんな様子をはっきりと見て取ることができました。このような構造は、芳賀先生が示された模式図にも表れていると言えるでしょう。
ここでいう「一つの議論」、図でいえば一番外側の囲み線は、「人文学」にかかわるものです。基調報告において「包括性」と「専門分化」の話が出てきましたが、まさにこの「包括性」、すなわち「人間とは何か」という根源的な問いにおいて、「人文学」という枠組みが成立しているのです。
(もちろん、このような状況を可能にしたものは何であるのか、あるいはそれによって見落とされるものがあったりしないか、ということも、追々考えていかねばなりません。)
今回のシンポジウムを通して「人文学の最前線」なるものを見てみると、それは一方向的な「最前線」であるのではなく、むしろ二つ(以上?)の方向を行ったり来たりする「境界線」である、と言った方がもしかするとしっくりくるのではないかという気がします。例えば「包括」と「専門特化」、「ホーム」と「アウェイ」、「デジタル」と「職人技」。あるいは「人間」と「AI」、そして「生者」と「死者」。それぞれの「境界線」の形も一様ではありませんが、まず「名前」付けによって「境界線」をつくりだすこと、「境界線」の向こう側の「わからなさ」に向き合うこと、そして「境界線」そのものが揺り動かされること。どれも人間的な営みであると言えるでしょう。
これらの「境界線」は、当然ながら「自己」と「他者」についても当てはまります。例えば「他者」を区切ることで規定される「自己」のアイデンティティ。あるいは「自己」にとっては「わからない」存在としての「他者」。しかし、そもそも「自己」は「自己」のことを「わかっている」のでしょうか? 「他者」を問おうとする過程において、「自己」もまた変容を迫られます。
昨年度で宗教学の教授を退任された鶴岡賀雄先生が書かれた論文に、「他者学としての宗教学――宗教学の性格規定についての試論」というものがあります。そこでは「他者」を問うことで「自己」もまた問い返される、という宗教学の性質が述べられていますが、これは人文学全般の問題であると言えるでしょう。
フロンティアは足元……「ジブン」の中にこそあるのです。
「ジブン×ジンブン」という私たちの企画名は、私たちの内部ではどちらかというと「アウェイ」としての「理系」学生である原田さんが提案したものでした。いま、先生方の素晴らしいシンポジウムを前にして身のすくむ思いですが、改めて人文学の役割を考えていくうえで、いわば「自己」から「人文学」を問う、あるいは「人文学」から「自己」を問うという、「ジブン×ジンブン」なるテーマを設けられたのは僥倖であったと思います。
それをどう具体化していくかは、当日をお楽しみにしていただければと思います。駒場祭まであと一ヶ月を切りましたが、より良い企画を共有するべく、私たちは引き続き問い続けてまいります!
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「ジブン×ジンブン」企画ID:386
第69期駒場祭にて開催東京大学駒場キャンパス(東京都目黒区 京王井の頭線・駒場東大前駅東口よりすぐ)
会場:1号館1階 112教室
日時:2018年11月23日(金)9:00-18:00/11月24日(土)9:00-18:00/11月25日(日)9:00-17:00
※25日(日)のみ終了時間が早まりますのでご注意ください。
入場料:無料(任意カンパ制)
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