皆さんはじめまして。第70回駒場祭よりジブン×ジンブンの企画に参加させていただきます、人文社会系研究科日本語日本文学専門分野修士課程一年の大島と申します。渡部さんからの紹介でメンバーの一人に加えていただけることになりました。どうぞよろしくお願い致します。
私は日本語学(「国語学」も同義、以下「日本語学」に統一)を専攻しております。日本語学とは、日本語を対象とした言語学(Japanese Linguistics)のことです。日本語を対象にした研究はすべて日本語学となるので、テーマは多岐にわたりますが、一般には文法、音韻、語彙、文字・表記などにカテゴリー化されます。もちろんこれらの小分野は互いに密接に関わっておりますし、特定の範囲における言語現象を総体的に分析していく分野もあります(方言研究など)。認知言語学や語用論といった、言語学における新たな分野も日本語学に取り入れられております。これらのカテゴリーとは別に、共時言語学と通時言語学という区分があるように、日本語学も、現代語の研究と、日本語の歴史の研究とに二大別されます。私の専攻は後者の日本語史です。過去における特定の日本語の姿を明らかにし、それはどのように変化したのか、その背景にはどのような理由が考えられるかということについて日々考えております。
現在残っている最古の日本語音声資料は1900年のパリ万博で録音されたものと言われておりますので、それ以前の日本語を知りたい時には、文字資料に頼らざるを得ません。とはいえ、1900年より前の文字資料なんて無尽蔵にあります。そのなかから目的に応じて適切な資料を選定する必要があるのですが、通時代的な調査を行うとなるとどうしても数十数百の資料に目を通さなければならなくなります。おそらく人文学の中でも最も多くの本を開く(≠読み込む)学問なのではないでしょうか。日本語史の研究者はだいたい大学図書館のヘビーユーザーだと思われます。
さて、私の研究分野、と言ってしまっていいのか不安ですが、卒論でテーマとしたのは「中世の日本漢字音」です。具体的にどういうことについて調べ、考えているのか、折角なので「学」という漢字の読み方を取り上げてみます。
日本漢字音が大きく「呉音」と「漢音」とに分かれることは、多くの方がご存知だと思います。「人文学」という語を、全て漢音で読めばジンブンカク、全て呉音で読めばニンモンガクとなります。呉音と漢音の読み方の違いは、元となった中国語音の方言差や受け入れ時期に起因するものですが、両方の音を体系的に区別して、併用し続けるというのは、日本語特有の現象といわれています。たとえば韓国語ではインムンハクという読みしかありません。これがなぜかというのは、日本語史上の大きな問題ですが、ここでは立ち入らないことにします。歴史的な事実として、そしてまた規範的な意識として、漢文を読む際には、漢籍では漢音を、仏典では(一部を除き)呉音を用いることが原則でした。
そしてまた漢語は、仏典や漢籍を出自とするものが多いため、その読み方は漢音か呉音に統一するのが原則であり、一つの漢語に呉音と漢音とを混ぜて読むのは、後世の乱れた形であると言われています。
先に述べたように「人文学」を漢音で統一して読めばジンブンカクとなりますが、現代語で「学」を漢音のカクで読むことは皆無に等しく、専ら呉音のガクのみが使われています。したがって、文学、工学、学業、学会といった漢語はすべて漢音と呉音を混ぜた読みということになってしまいます。もっとも「工学」や「学会」は新しい言葉ですが、「文学」や「学業」は8世紀から使われている息の長い言葉です。昔の人は本当にこれらを漢音でブンカク(あるいは呉音でモンガク)、漢音でカクギョー(あるいは呉音でガクゴー)と読んでいたのでしょうか。
仮名は清濁を書き分けない場合が多いので、古い時代の語形を知りたくても十分な結果を得られないことが多いです。しかし、16世紀末になると、「キリシタン資料」とよばれる、当時の発音を知るのに欠かせない資料群があらわれます。1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着して以降、カトリック宣教師らによるキリスト教の布教活動が活発化します。金属活字による活版印刷術を用いて、教義書、日本語辞書、古典文学作品などさまざまな書物が、ローマ字や漢字仮名交じり文によって、出版されました。これらの「キリシタン資料」のうち、特にローマ字本が、当時の発音を知る上で有用となります。なかでも国語学上欠かせないのは、日本語をポルトガル語で解説した辞書である『日葡辞書』です。1603-04年にかけて長崎で刊行された本辞書は、約3万2800語をアルファベット順に収録しています。1980年に岩波書店から『邦訳日葡辞書』が刊行され、古典ポルトガル語が読めない私は大いにその恩恵にあずかっております。
『日葡辞書』で、上にあげた「文学」「学業」に相当すると思われる語を引いてみましょう。上に原文(ローマ字は現行のものに改める)、下に邦訳本文を掲げます。
Bungacu. Fumi manabu. Estudo, & sciencia de liuros, & bom estillo de cartas, &c.Bungacu.
ブンガク(文学) Fumi manabu.(文学ぶ) 書物や書状の立派な文体などを学習すること,または,その学問.
Gacuguiǒ. Manabu xiuaza. Obra de aprẽder, ou estudar.Gacuguiǒ.
ガクギャウ(学業) Manabu xiuaza.(学ぶ業) 学習し勉強するわざ.
『日葡辞書』は、漢字表記を示してくれません。そのため、邦訳本で( )に括られている表記は、必ずしも正しいものとは言えません。ただ、見出し語のすぐ隣に日本語による注記があり、恐らくこれは漢字表記を想起させる役割を担っていたと考えられています(ない場合もあります)。たとえば、Bungacuには、Fumi manabuとあり、そのまま漢字で記せば「文学」なので、Bungacu=「文学」ということが分かります。どうやら「文学」も「学業」も、こんにちと同じように、呉音ガクと漢音を混ぜて読んでいたようです。『日葡辞書』にはその他にもYeqigacu(易学)、Reqigacu(暦学)、Qingacu(勤学)など、多くの混ぜ読み例が指摘できます。
そもそも「学」自体、次のように立項されています。
Gacu. Manabu. Estudo. ¶ Gacu suru. Estudar.Gacu.
ガク(学) Manabu.(学ぶ) 勉学.¶ Gacusuru.(学する)勉学する.
一方、cacu(カク)で「学」の字を表すと思われる語は、『邦訳日葡辞書索引』『邦訳日葡辞書逆引索引』などを調べてみても、一つも見当たりません。1600年ごろには、「学」の読みは呉音のガクで固定しており、漢音のカクはほとんど使われていなかったものと考えられます。
辞書以外の資料にも目を向けてみましょう。「キリシタン資料」の一つに、修道士ハビアンが、師から命を受けて口訳した、ローマ字本の『平家物語』があります。1592年に天草のコレジオから刊行され、『天草版平家物語』と呼び習わされています。その序文には、「二人が雑談するような形式で書写せよ」と師に命令されたハビアンが、理由を尋ねると、次の成語を引いて説かれたとあります。
なにをしているのかちょっとだけ紹介
私は日本語学(「国語学」も同義、以下「日本語学」に統一)を専攻しております。日本語学とは、日本語を対象とした言語学(Japanese Linguistics)のことです。日本語を対象にした研究はすべて日本語学となるので、テーマは多岐にわたりますが、一般には文法、音韻、語彙、文字・表記などにカテゴリー化されます。もちろんこれらの小分野は互いに密接に関わっておりますし、特定の範囲における言語現象を総体的に分析していく分野もあります(方言研究など)。認知言語学や語用論といった、言語学における新たな分野も日本語学に取り入れられております。これらのカテゴリーとは別に、共時言語学と通時言語学という区分があるように、日本語学も、現代語の研究と、日本語の歴史の研究とに二大別されます。私の専攻は後者の日本語史です。過去における特定の日本語の姿を明らかにし、それはどのように変化したのか、その背景にはどのような理由が考えられるかということについて日々考えております。
現在残っている最古の日本語音声資料は1900年のパリ万博で録音されたものと言われておりますので、それ以前の日本語を知りたい時には、文字資料に頼らざるを得ません。とはいえ、1900年より前の文字資料なんて無尽蔵にあります。そのなかから目的に応じて適切な資料を選定する必要があるのですが、通時代的な調査を行うとなるとどうしても数十数百の資料に目を通さなければならなくなります。おそらく人文学の中でも最も多くの本を開く(≠読み込む)学問なのではないでしょうか。日本語史の研究者はだいたい大学図書館のヘビーユーザーだと思われます。
さて、私の研究分野、と言ってしまっていいのか不安ですが、卒論でテーマとしたのは「中世の日本漢字音」です。具体的にどういうことについて調べ、考えているのか、折角なので「学」という漢字の読み方を取り上げてみます。
日本漢字音が大きく「呉音」と「漢音」とに分かれることは、多くの方がご存知だと思います。「人文学」という語を、全て漢音で読めばジンブンカク、全て呉音で読めばニンモンガクとなります。呉音と漢音の読み方の違いは、元となった中国語音の方言差や受け入れ時期に起因するものですが、両方の音を体系的に区別して、併用し続けるというのは、日本語特有の現象といわれています。たとえば韓国語ではインムンハクという読みしかありません。これがなぜかというのは、日本語史上の大きな問題ですが、ここでは立ち入らないことにします。歴史的な事実として、そしてまた規範的な意識として、漢文を読む際には、漢籍では漢音を、仏典では(一部を除き)呉音を用いることが原則でした。
そしてまた漢語は、仏典や漢籍を出自とするものが多いため、その読み方は漢音か呉音に統一するのが原則であり、一つの漢語に呉音と漢音とを混ぜて読むのは、後世の乱れた形であると言われています。
先に述べたように「人文学」を漢音で統一して読めばジンブンカクとなりますが、現代語で「学」を漢音のカクで読むことは皆無に等しく、専ら呉音のガクのみが使われています。したがって、文学、工学、学業、学会といった漢語はすべて漢音と呉音を混ぜた読みということになってしまいます。もっとも「工学」や「学会」は新しい言葉ですが、「文学」や「学業」は8世紀から使われている息の長い言葉です。昔の人は本当にこれらを漢音でブンカク(あるいは呉音でモンガク)、漢音でカクギョー(あるいは呉音でガクゴー)と読んでいたのでしょうか。
仮名は清濁を書き分けない場合が多いので、古い時代の語形を知りたくても十分な結果を得られないことが多いです。しかし、16世紀末になると、「キリシタン資料」とよばれる、当時の発音を知るのに欠かせない資料群があらわれます。1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着して以降、カトリック宣教師らによるキリスト教の布教活動が活発化します。金属活字による活版印刷術を用いて、教義書、日本語辞書、古典文学作品などさまざまな書物が、ローマ字や漢字仮名交じり文によって、出版されました。これらの「キリシタン資料」のうち、特にローマ字本が、当時の発音を知る上で有用となります。なかでも国語学上欠かせないのは、日本語をポルトガル語で解説した辞書である『日葡辞書』です。1603-04年にかけて長崎で刊行された本辞書は、約3万2800語をアルファベット順に収録しています。1980年に岩波書店から『邦訳日葡辞書』が刊行され、古典ポルトガル語が読めない私は大いにその恩恵にあずかっております。
『日葡辞書』で、上にあげた「文学」「学業」に相当すると思われる語を引いてみましょう。上に原文(ローマ字は現行のものに改める)、下に邦訳本文を掲げます。
Bungacu. Fumi manabu. Estudo, & sciencia de liuros, & bom estillo de cartas, &c.Bungacu.
ブンガク(文学) Fumi manabu.(文学ぶ) 書物や書状の立派な文体などを学習すること,または,その学問.
Gacuguiǒ. Manabu xiuaza. Obra de aprẽder, ou estudar.Gacuguiǒ.
ガクギャウ(学業) Manabu xiuaza.(学ぶ業) 学習し勉強するわざ.
『日葡辞書』は、漢字表記を示してくれません。そのため、邦訳本で( )に括られている表記は、必ずしも正しいものとは言えません。ただ、見出し語のすぐ隣に日本語による注記があり、恐らくこれは漢字表記を想起させる役割を担っていたと考えられています(ない場合もあります)。たとえば、Bungacuには、Fumi manabuとあり、そのまま漢字で記せば「文学」なので、Bungacu=「文学」ということが分かります。どうやら「文学」も「学業」も、こんにちと同じように、呉音ガクと漢音を混ぜて読んでいたようです。『日葡辞書』にはその他にもYeqigacu(易学)、Reqigacu(暦学)、Qingacu(勤学)など、多くの混ぜ読み例が指摘できます。
そもそも「学」自体、次のように立項されています。
Gacu. Manabu. Estudo. ¶ Gacu suru. Estudar.Gacu.
ガク(学) Manabu.(学ぶ) 勉学.¶ Gacusuru.(学する)勉学する.
一方、cacu(カク)で「学」の字を表すと思われる語は、『邦訳日葡辞書索引』『邦訳日葡辞書逆引索引』などを調べてみても、一つも見当たりません。1600年ごろには、「学」の読みは呉音のガクで固定しており、漢音のカクはほとんど使われていなかったものと考えられます。
辞書以外の資料にも目を向けてみましょう。「キリシタン資料」の一つに、修道士ハビアンが、師から命を受けて口訳した、ローマ字本の『平家物語』があります。1592年に天草のコレジオから刊行され、『天草版平家物語』と呼び習わされています。その序文には、「二人が雑談するような形式で書写せよ」と師に命令されたハビアンが、理由を尋ねると、次の成語を引いて説かれたとあります。
Cagacu xite xǒtat suruua tçuneno fǒ nari.(下学して上達するは常の法なり)
これは、『論語』憲問篇の「下学而上達」という一文が出典です。本来の意味には異論もあるようですが、一般には「初歩的なところから学び始め、やがて後には高遠な学理にまで達して、それをきわめる」(『日本国語大辞典 第二版』)という意味の成語と理解されています。第一には宣教師たちが日本語を学ぶための教科書であるのだから、初学者の妨げとなるようなことはなるべく無くしてくれと命じられたわけです。『論語』は漢籍ですので、基本的には漢音で読まれます。その証拠に、「上達」はジョータツではなくショータツ(xǒtat)と漢音(清音)で読まれています。しかし、「下学」は漢音カと呉音ガクの混ぜ読みです。漢籍訓読に由来する成語にすら呉音のガクが用いられているのですから、室町末期にあっても、現代と同じように、漢音のカクは一切使われなかったんだろうなあ……と、思いたくもなりますが、本当にそうでしょうか。
室町末期の『文明本節用集』と呼び習わされている辞書は、漢籍から多くの名言名句を抜き出して、その読み方を示しています。またこの辞書には、漢音は朱で、呉音は墨で書くという特徴があります。先に挙げた「下学而上達」も見えますが(128右1~2)、カクの「カ」、シヤウの「シ」、タツの「タ」の右上に、不可解な丸い点があります。全て朱で書かれているから、漢音と思われますが、これらの点は一体何なのでしょうか。
さしあたり、漢音と呉音との関係だけについてみると、博士家に伝承された読書音というようなものは、そういうとじられた世界においてこそ、どうにかその純粋性を保持しつづけていたにしても、社会一般――といっても、もちろん、知識階級に限定してかんがえるわけであるが――の状態からするならば、呉音系の字音の方が、はるかに強靭な生命力をもって浸透・定着しており、ともすると日常語から遊離しがちな漢籍の読書音は、いわば、その呉音の影響から保護されていなければ、それにおきかえられてゆく危険性を、つねにはらんでいたとかんがえられる。この文明本『節用集』の編者が、はたしてどういう範囲のひとびとを、その利用者として想定していたかはわからないが、ともかく、このようなかたちで、生命力のよわい読書音を、いちおう世間にだそうとする以上、その保護について気をくばったであろうことは想像にかたくない。(p.24)
その結果、「不濁点」は次のような場合に加点されることとなります。
当時、呉音よみの方が支配的であったり、あるいはまた、日常あまりもちいられない文字で、声符からの類推によって濁音――つまり、結果的には呉音に一致するかたち――によまれる危険性をふくむような文字に対しては、丹念に不濁点をほどこす必要があったということになる。(p.16)
以上の論に基づけば、先の箇所は、「カガクしてジョーダツす」とは読まずに「カカクしてショータツす」と清音で読め、と注意を促していたものと解釈できます。裏を返せば、日常の場においては「学」も「上」も呉音のガク、ジョーが支配的であったという状況がうかがえます。実際、『文明本節用集』において不濁点が施される漢字のうち、「学」は28例で第三位、「上」は21例で第七位です。なお「達」に関しては、呉音が支配的であったというよりは、連濁して読まれる可能性を排除したものと考えられます。
松井利彦(1971)「近世漢学における漢字音の位相」という論文にも不濁点に言及があります。本論文では、17世紀の朱子学者、中村惕斎による『小学示蒙句解』の、漢文に訓点を施した部分(訓読文)と、講釈文とにおける字音の性格の違いを論じ、後者には呉音の混入が多く見えることを指摘しております。さて、実際に本資料*2を見てみると、出だしから「性格の違い」、いわば「位相差」を見て取ることができます。
訓読文の「小学」の「学」に不濁点が、講釈文の「小学」の「学」の右肩には濁点が施されております。また「序」にも不濁点があります。現代では呉音のジョしか用いませんが、漢音はショです。
「位相」という言葉が出てきました。性別や世代、階層、地域、改まった場とくだけた場といった様々な要素に基づく言語の違いのことを、言語学の用語で「位相」と呼びます。日本漢字音にも、呉音/漢音という体系性の内部で、あるいは外部で、様々な位相があることが明らかになってきております。今見てきたような、規範的な読書音と、実際的な日常音といった対立も、一種の位相差の問題として捉えられるものです。現時点での私にとっての一番の関心は、漢字・漢語の読み方の位相差です。
好きなこと
やっぱり、日本語や漢字について調べたり考えたりするのが楽しいです。(でなきゃこんな研究、続けられません。)それから暮らしの中の略字や誤字が好きで、よく写真に収めています。何もない住宅街とかを歩くのが好きです。神社にある石碑とかをよく眺めています。長期休みには珍しい漢字が使われている地名を見に行ったりもします。
(本郷三丁目の交番にて。「機」)
(生協購買部にて。「庫」)
「東大エレクトーンクラブ」というエレクトーンサークルに入っています。音楽は好きです。あとはスマホとインターネットです。YouTubeを見たり、TVerでバラエティ番組を見たりしています。家が好きです。一人が好きです。睡眠が好きです。
おすすめの本
漢字音の研究に興味を持ったきっかけは、大学二年生の冬に読んだ沼本克明『日本漢字音の歴史』(1986, 東京堂出版)でしたが、日本語史の知識も中古音の知識も不十分であった当時はよく理解できない部分も多く、なにより絶版で価格が高騰してしまっているので、ここでは現在も新品が買える一般向けの本として次を紹介します。
湯沢質幸(2017)『漢字は日本でどう生きてきたか』開拓社*3
「開拓社言語・文化叢書」の一冊。漢字音研究の碩学が書かれたため、漢和辞典における呉音・漢音認定の問題点の話から、「埼京線」という読み方の不思議に関する話まで、単なる概説ではない面白さがあります。不濁点についても記述あり。
*1: https://db3.ninjal.ac.jp/SJL/view.php?h_id=0800010290
*2: http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_e1901/bunko31_e1901_0001/bunko31_e1901_0001_p0004.jpg
*3: https://www.amazon.co.jp/dp/B07TXMP7MG/
「ジブン×ジンブン」企画ID:356
第70回駒場祭にて開催
東京大学駒場キャンパス(東京都目黒区 京王井の頭線・駒場東大前駅東口よりすぐ)
交通アクセス・キャンパスマップはこちら
会場:東京大学駒場キャンパス
21 KOMCEE West4階 K402教室
日時:2019年11月22日(金)9:00-18:00/11月23日(土)9:00-18:00/11月24日(日)9:00-15:00
※24日(日)のみ終了時間が早まりますのでご注意ください。
入場料:無料(任意カンパ制)
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